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ポジティブ教でもなく、アンチ・ポジティブ教でもなく、ただ認めること

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世の中にはポジティブ教が溢れてる

見ていて痛々しいほどにポジティブを全面に押し出している本、ネット記事、いろいろありますよね。自己啓発にくくられる書物は9割型こちらですし、「意識高い系」とdisられるのもこの系統。個別に例を出したらキリがない。


コップの中にある水の量を見てあーだこーだ。


そして、そういうポジティブ教に疲れた人や、逆張りで目立とうという方向から「アンチ・ポジティブ教」的な主張をする人も出てくる。


自分もアンチ・ポジティブ寄りの人だったのは否定しません。

「事実・現象」それ自体に意味はなく、ただそこに在るのみ。

事象を見て、どう思うか、どう意味付けをするか、どういう感情とセットでその事象を記憶するのかは、その人次第。


人はみんな、目の前の事実に何かしらの意味を加えて理解する。それこからは逃れられないのが人間。


懐疑主義ピュロン主義)者は「人間は、それを信じるか、それを信じないか、どちらかに必ずわかれるのであって、絶対的客観、絶対的第三者に立つことはできない」と言ったとか。


ポジティブな解釈を加えるのも、ネガティブな解釈を加えるのも、その人次第。


同じ人物であっても、その時はネガティブに捉えていたのに、時間が立ってから「アレはアレでよかった」なんてポジティブな記憶にすり替わっていたりすることからも、事実それ自体が意味を持っているのではなくて、あくまで人間の考え方次第なのだ。


すべての意味解釈は人が後付することができるのならば、すべてをポジティブな解釈に書き換えてしまえ、っていうのがポジティブ教
悲観的でいても、否定的な言葉を並べ立てても進まないから、無理にでも前向きに捉えて行こうぜ、ってのがポジティブ教

無理をしている自分にフタをしていないか?

ポジティブ教の落とし穴は、ある事象を見て「ネガティブな感情を抱いた自分」をも否定してしまうこと。


「ネガティブな感情を抱いた自分」もまた事実なのだ。それを否定的=ネガティブに捉えることがポジティブ原理主義においてすでに矛盾している。だから無理が生じる。


見ないふりをして、あるいはフタをして、事実に目を背けても、事実はなくなったりはしない。


事実はそれ自体に意味をもたず、ただそこにあるのだ。

自分を認めるということ

ある事象を、ポジティブにとらえた自分、ネガディブにとらえた自分、どちらであっても一旦事実として受け止めること。


どんな自分であっても、それを認めてあげること。


ただし、甘受=甘んじて受け入れる、というように意味をつけて受け止めるのではなく、、ただそこにある事象として認識すること。


自分が自分を否定してしまうと、そこに無理、矛盾、歪みが生じて、それを取り繕うことに疲弊してしまうから。


どんなにポジティブなフリをしていても、どんなにポジティブであるかのように人に見られていても、そこに無理がある限り、精神は休まらない。


嘘に嘘を重ねて堕ちていく人の例にあるとおり。

一旦すべてを事実として認め、受け入れてから、さて次にどうしましょうか、と考える。

「今はネガティブにしか考えられないけど、これをもしこんなふうに活かせたら、後々これはこれで良かったと思えるんじゃないか」というアイディアが生まれれば、そうすればいい。なかなかすぐにそんなアイディアが出ないなら、とりあえず放置でもいい。とりあえず今は悲しみに浸ってもいい。


そんな自分がそこにいるということだけ認めること。
事実・現象は、それはそれとして受け止めて、そこで一旦完結させてしまうこと。


それをどのように捉え、その先どうしようとするのか、という話は、一旦切り離してあげること。


このささやかなワンアクションが、ポジティブ、アンチ・ポジティブの両極端に振れずに平静を取り戻す上で大事なこと。



そんな考え方ができるようになってから

落ち込みを引き摺ることが減ったように思います。


落ち込みがなくなったわけじゃないです。落ち込んでいる自分を否定しないだけです。


ここ数ヶ月、かなり苦しい環境にあり、それはもう感情的にもジェットコースターのように揺さぶられ続けました。ブログの更新を始めネット上での活動が停滞していたのも、この一件が影響してました。


なんとか落ち着くところにたどり着いたのですが、望んでいた方向と違うところに着地して終結を迎えることになりました。
正直なところ、まだ未練も残ってます。


でも、事実・現象と、それらに振り回される自分と、すべてを一旦認めることで、そこから先をどう動こうかということを考えることができて、その結果として「その結論を以って終止符を打つ」という決断を自ら下したわけで、自分でも驚くほどに冷静になっています。





以上、ポエムでした。



精神・心理的な持論表現をポエムと呼ぶならば、ポエム上等、書き散らしてやるぜっ。


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